トレコム

今日あった出来事など日によって違うことを発信していきたいと思います。

ノーベル賞 日本人3人 青色LED

ストックホルム=内藤泰朗】ノーベル賞の授賞式が10日、スウェーデンの首都ストックホルムで行われ、名城大の赤崎勇終身教授(85)、名古屋大の天野浩教授(54)、米カリフォルニアサンタバーバラ校の中村修二教授(60)の3氏に、物理学賞が授与された。

 明るく効率的な光源を可能にした青色発光ダイオード(LED)の開発が評価された。

yjimage.jpg

 授賞式を前に師弟の絆や常識を疑い挑戦する姿勢、ライバルとの競争が成功のカギだと強調。「20世紀中には困難」とされた難題を解決した3人は、「(日本流の)挑戦する心」(ノーベル委員会)を世界に示して、日本の底力を印象づけた。「青色の奇跡」-。そう呼ばれたほど、青色LEDの開発は困難を極めた。

 戦後の復興期、「何かの役に立ちたい」と技師となった赤崎氏は実験中、きれいに光る窒化ガリウムの微小結晶に気づいた。「カギはきれいな結晶づくりにある」。そう確信して助手を探そうとしていた矢先、募集直前に飛び込んできたのが、当時、24歳で名古屋大大学院生の天野氏だった。

 「この若者はやる気がある。絶対にあきらめない。私と同じだ」。赤崎氏と天野氏は「切っても切れない仲になった」。2人は一心不乱に研究。深夜もこうこうと明かりがともる赤崎氏の研究室は「不夜城」と呼ばれた。

 「作りやすいものは壊れやすいが、作りにくいものはその分タフだ」。実験は失敗が続いたが、信念を曲げない赤崎氏を中心に、研究室の結束は固かった。

 「先生との出会いが運命を変えた」と話す天野氏は「先生の考え方が分かるからあきらめず粘り強く実験ができた」と振り返る。

 そんな2人を「競争者」として追いかけていたのが中村氏だった。「徳島県の田舎で自由に研究できたことが大きかった。抜きつ抜かれつつ、切磋琢磨(せっさたくま)し、最後は3人で同時にゴールできた」と語った。

 1985年に窒化ガリウムの高品質な結晶作製に成功。青色LEDの開発も実現し、中村氏が大量生産技術を確立すると、LEDは一挙に普及した。

 「受賞者たちは真実を求め、挑戦した。相当のリスクをとり、努力した。装置を手作りし、技術を学び、何千回も失敗を繰り返したが、絶望しなかった。最高水準にある実験室の芸術的な手腕だ」。ノーベル委員会は絶賛している。

引用  奇跡生んだ挑戦と競争 抜きつ抜かれつ3人同時ゴール ノーベル賞授賞式 

      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141211-00000068-san-soci

青色のLEDは今やどこにでも使われているもので駅の電光掲示板やビルなどの証明と

様々なものに使われている。

青色が使われるまでは色鮮やかなものとは違っていたが青色が採用されてからはとても見やすくなった感じ

がありますね。

その中で日本人3人がノーベル賞というのはすばらしく誇りに思いますね。