任天堂を率いた岩田聡、55歳の死
任天堂の岩田聡社長兼CEOの死去が、13日、同社のウェブサイトで発表された。岩田氏は55歳だった。
「当社代表取締役社長岩田聡が、平成27年7月11日、胆管腫瘍のため逝去いたしました。ここに生前のご厚誼に感謝し、謹んでお知らせ申しあげます」と、短い声明文では述べられている
岩田氏は2002年に、任天堂の舵取りを任された。1889年の設立以降4代目の社長で、創業者の山内家の出身ではない唯一の社長だった。
岩田氏は、ゲーム業界では異色の存在だった。ゲームのプログラマーとしての経歴をもつ会社社長だったのだ。80年代前半、大学卒業後すぐに、東京に拠点を置く開発会社のHAL研究所に入社し、直後からプログラマーとしての仕事を開始。「バルーンファイト」や「星のカービィ」シリーズなどで、任天堂の古典的ゲームの制作に携わった。
任天堂のトップに立った後、岩田氏は会社の運命を大転換させ、数年後には「ニンテンドーDS」や「Wii」といったコンソール機などを発表し、非常に大きな成功を遂げた。
彼のゲームに対する情熱は、「社長が訊く」という自身の数多くのインタヴューのなかに、最もよく表れている。このなかで彼は、自分にしかできないようなやり方で、任天堂の“ブレーン”たちを選び出し、任天堂のクリエイティヴなプロセスについて、刺激的な話を引き出したのだ。
任天堂は1年ほど前に、CEOが胆管の手術により、2014年の「E3」に出席しないことを発表したときに初めて、岩田氏の健康問題について説明を行った。E3後にライヴ配信された映像で再び姿を現した際には、著しく体重を落とした様子が見受けられた。
岩田氏は今年もE3への出席を見送ったが、6月26日に行われた任天堂の直近の株主総会には全て参加するなど、仕事は継続していた。
岩田氏のような途方もなく大きな才能の喪失は、「移行期」というべき段階に入っていく任天堂に、確実に深刻な影響を与えることになるだろう。皆に好かれ、頭の切れる情熱的なリーダーを、これほど若く急に失ったことは、間違いなく強烈な一打となり、同社は今後、ここからの立ち直りを図らなくてはならない。
引用元
岩田社長へ 俺が初めてゲームを触ったのは任天堂でした。それから任天堂のゲームが大好きになりたまにクソゲーワロタとか言いますがみんなが楽しめばそれでいいんだと思います。本当にありがとうございます!!天国でもお元気で! 長文にて失礼
— ★拓海☆(戦場の皇帝 新米提督 銀さん) (@964Skt) 2015, 7月 13
岩田社長、たくさんの「楽しい」をありがとうございました。
— ∠TT子@9/13&20サンパレス (@yeah_TT_yeah) 2015, 7月 13
スプラトゥーンの広場のメッセージが泣ける・・・。岩田社長、今まで本当にありがとうございました。
— neginashi (@neginashi_gt) 2015, 7月 13
Splatoonで岩田社長が亡くなったから 今までありがとうございます などのコメントがある。 マリオなどのゲームで楽しませてくれてありがとうございます、天国でゆっくりお休みください。
— たっかー@くコ:彡イカイカ (@shigataka05) 2015, 7月 13
家に1人。 いつも通り3DSでモンハンを始める。 ふと浮かぶ岩田社長の訃報。 気付けば流れる静かな涙。 本当にありがとうございました。
— すずきり@なろう (@x8875878e7bhv) 2015, 7月 13
ハッシュタグ本当に泣ける 岩田社長には ご冥福お祈りしますもお疲れ様もそうだけど やっぱり一番はありがとうって言いたい みんなの想いが届きますように #ThankYouIwata
— a r c@くコ:彡 (@_nir817) 2015, 7月 13
岩田社長。 僕がちびっこの時は任天堂一色でした。 友達が出来たのも、明るい性格になったのも任天堂のおかげです。 DSを初めて手に入れて感動で震え、家族でWiiを遊んで全員筋肉痛になった事もありました。 本当に楽しかったです。 本当にありがとうございました。
— そらまめゲーマー (@soramame_gamer) 2015, 7月 13