トレコム

今日あった出来事など日によって違うことを発信していきたいと思います。

泣ける!!2chのコピペ集めてみました。

おもしろいコピペに続き泣けるコピペもどうぞ!!

ウルっときたもの集めてみました。

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった

だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた

絵は上手じゃない

ただ、どうにかして形に残したかったらしい

ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた

絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで

小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された

めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた

友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた

パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした

破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた

翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた

「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」

申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った

俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。

特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて

誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが

家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の

「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。

モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。

何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると

「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。

それが最後の言葉だった。

「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして

スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に

母の炊き込みご飯が食べたくなる。

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、

母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。

私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。

すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、

とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので

「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。

母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。

中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。

後悔で涙がこぼれた

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった

母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた

土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに

遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての

プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは

招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ

なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の

ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、

母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。

新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて

やることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように

「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった

腹違いの兄貴が居る。

俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。

一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。

大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。

俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」

兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。

姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。

兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」

俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。

お返しだ。ザマミロ。

姪っ子の結婚式の時、

「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」

って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。

その時、サキちゃんはまだ2歳。

「あなた、サキのためにビデオを3本残します。

 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。

 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)

「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。

 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。

 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。

 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。

 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。

 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。

 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!

 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに

そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。

3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。

なつかしいママの顔が映し出された。

「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。

 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。

 ……

 サキちゃん。今日で本当にお別れです。

 ……

 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。

 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)

 ママ、もっと生きたい…。

 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。

 あなたの成長を見つめていたい…。

 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。

 それは、『ママを忘れる魔法』です。

 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。

 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」

そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。

パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。

天国のママに見てもらうために

どうですか?

目にゴミが入ったのでこれで終わりますね・・・。